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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)2727号 判決

原告 林芳枝

右訴訟代理人弁護士 佐々木敬勝

北林博

塚口正男

被告 株式会社林商店

右代表者代表取締役 林楠雄

右訴訟代理人弁護士 田宮敏元

主文

一、被告は原告に対し一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四四年四月一日から右支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決は原告において二〇〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(当事者の申立)

原告は主文第一、二項同旨の判決および仮執行の宣言を求めた。

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求めた。

(原告の主張)

一、請求原因

(一)、原告は被告会社の従業員であったが、昭和四三年一二月末日被告会社を退職するに際し、被告会社は原告に対し従業員退職金として一、〇〇〇万円を支払う。右支払期日は被告会社が大阪市から大阪都市計画事業御堂筋線用地買収に伴う立退補償金を受領すると同時に支払うものとする旨の約束(以下本件約束という。)をなした。

(二)、そして、被告会社は昭和四四年三月三一日大阪市から右補償金を受領した。

(三)、よって原告は被告会社に対し本件退職金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四四年四月一日から右支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告の抗弁に対する認否

被告の抗弁(一)ないし(三)の事実中、原告が被告会社の取締役であったことは否認する。すなわち、

(一)、原告は登記簿上被告会社の取締役として記載されているが、それは全く名義だけのものであって、株主総会において取締役に選任された事実はなく、実質的に取締役の職務を執行したこともなく、また被告会社から取締役として待遇された事実もない。

被告会社の前身は、原告の祖父である亡林常吉が営んでいた大嘉林本店なる酒類販売業であって、同人死亡後原告とその夫が営業を継ぎ、原告の夫死亡後、原告がこれを継いたのであるが、終戦後になって、林楠雄が右営業に参加したものである。そして税金対策上株式会社組織にした方が有利であるという林楠雄の考えにより、昭和二七年に形式上被告会社を創設したが、実質的には原告と林楠雄との共同経営であった。その後、林楠雄が形式上被告会社の代表取締役となったことと、原告が女性であることから、漸次営業の実権は林楠雄の掌握するところとなり、原告は従業員の地位に甘んずる結果となったものである。

以上のとおりであって、被告会社は「会社とは全く名のみ」のもので法人格の形骸にすぎず、実態は個人企業である。

従って、被告会社は、創立総会もなく、今日まで正式に株主総会が開催された事実もない。登記簿上では、取締役、監査役は任期満了に伴い、株主総会において重任された旨登記されているが、右登記は単に必要書類を作成してなしたものに過ぎない。しかも右重任の登記がなされたのも昭和三二年一月までであって、その後は約一二年間にわたり、一度も取締役、監査役の変更登記すらなされておらず、取締役として登記されている林キヌ(原告の母)は昭和四一年に死亡しているにもかかわらず、後任者の選任登記すらなされなかったのである。

(二)、本件約束が締結された経緯にも被告会社の右の実態が如実に反映されている。すなわち、

昭和四三年に、原告所有の建物の敷地である大阪市北区兎我野町一四一番地が大阪都市計画事業御堂筋線用地として買収されることとなった。右敷地は、前記林常吉が寒山寺から賃借していたが、同人が昭和一四年一一月一七日死亡したため、林竹男が家督相続により右借地権と地上建物を相続した。しかし林竹男は学者になる積りであったので、前述のとおり原告が右家業である酒類販売業を継いだ。そして右建物が戦災によって焼失したので、原告は昭和二〇年一二月ごろ林竹男の了解の下に、右借地上に平家建店舗兼居宅を建て、昭和二六年右建物を取毀して、同所に二階建建物を建築した。ところが、大阪市より右建物敷地が買収されることになった際、林楠雄は原告所有の右建物を不法にも林楠雄名義に保存登記をしたので、大阪市は同人に対し借地権補償および建物取毀補償として四、三四九万七、七一二円を支払うことになった。

そこで、原告は事の意外に驚き、林楠雄を詰問し、少くとも前記補償金の半額を原告に支払うよう要求し、折衝を重ねた結果、林楠雄の依頼した藤本義治の勧めもあって、昭和四三年一二月前記補償金のうち、一、〇〇〇万円を原告が受取ることで話合いができたが、林楠雄は個人で受取る前記補償金より出捐するのは損であると判断し、かつ税金対策もあって、被告会社が営業補償として二、九九九万〇、七〇〇円を受取るので、そのうちより、一、〇〇〇万円を従業員退職金の名目で支払うこととした。これが本件約束である。

以上のとおりであって、被告会社の実態よりして、原告が被告会社の取締役であったというのは名義だけのものであって、真実被告会社の取締役になったものではない。従って原告が被告会社の取締役であったことを前提とする被告の抗弁はいずれも理由がない。

(被告の主張)

一、原告の主張事実に対する認否

(一)、原告主張の一項記載の事実中、原告が被告会社の従業員であったこと、原告と被告会社との間において昭和四三年一二月末日被告会社が原告に対し一、〇〇〇万円を支払う。右支払期日は被告会社が大阪市から原告主張の立退補償金を受領したときとする旨の本件約束をなしたことは認めるが、右金員は従業員退職金および取締役退職慰労金として支払を約したものである。

(二)、同二項記載の事実は認める。

二、抗弁

(一)、本件約束は、原告が被告会社の取締役としての地位を兼ねた立場で締結したものであるところ、それは取締役会の承認をうけていないので無効である。

(二)、本件約束は、前述のように取締役退職慰労金を含むものであるが、それは株主総会の決議を経ていないから無効である。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告が被告会社の従業員であったこと、金員支払の趣旨を別として、原告と被告会社との間において昭和四三年一二月末日被告会社が原告に対し一、〇〇〇万円を支払う、右支払期日は被告会社が大阪市から大阪都市計画事業御堂筋線用地買収に伴う立退補償金を受領したときとする旨の本件約束をなしたこと、および被告会社が昭和四四年三月三一日大阪市から右補償金を受領したことは当事者間に争いがない。

二、そこで本件約束における金員支払の趣旨につき検討することとする。≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

昭和四三年に、大阪市北区兎我野町一四一番地上の木造瓦葺二階建九八平方米九七(以下本件建物という)および木造波スレート葺平家建四一平方米八六の各建物の敷地が、大阪都市計画事業御堂筋線用地として買収されることとなった。右敷地は寒山寺の所有であって、もと谷奥鉄太郎がこれを賃借して同所に建物を所有し、原告の祖父にあたる林常吉が右建物を賃借して、大嘉林本店なる商号を使用して酒類販売業を営んでいたが、同人は昭和一四年一一月一七日死亡した。ところで、右林常吉の長男林嘉三郎は大正一二年一月三〇日推定家督相続人廃除の裁判をうけていたので、その長男林竹男が家督相続をした。しかし林竹男は、それ以前から学者になる積りであったので、原告がその夫林忠雄とともに家業の酒類販売業に従事しており、林忠雄が昭和一四年召集され、翌一五年七月戦病死したため、原告が中心となって、右林常吉死亡後家業を継ぎ、原告の弟林楠雄もこれを手伝っていた。その後林楠雄は昭和一八年召集され、同二〇年一〇月ごろ復員するまで兵役についた。その間原告が、父母の援助をうけながら家業を守ってきたが、同年六月空襲で右建物が焼失した。そして原告が支払をうけた火災保険金が預金封鎖となっていたが、原告は昭和二〇年一二月ごろ右預金の解除をうけ、それを資金として本件土地に平家建店舗兼居宅を建築した。その際本件土地の使用について、林嘉三郎らが寒山寺と交渉してこれを賃借した。(右賃借名義人が誰になっていたものか必ずしも明らかでないが、原告らの身内の一人が右賃借名義人になっており、かつ原告は本件土地使用の利益を享受する立場にあった。)林楠雄は復員後二、三年間、自転車のチューブの接着などの仕事に従事していたが、その後家業の酒類販売業に従事するようになり、原告と林楠雄の二人で右営業に関係していたが、林楠雄が日を追って右営業の中心的地位を占めるにいたった。そして林楠雄が立案、交渉して、右営業上の利益金をもって、昭和二六年前記建物を取毀して、同所に本件建物を建築した。ところが、昭和四三年大阪市により本件土地が大阪都市計画事業御堂筋線用地として買収されることになり、本件建物が原告の知らない間に林楠雄によって同人名義に保存登記がされていたため、同年八月一三日大阪市は林楠雄に対し借地権譲受代金三、八九七万八、三二〇円、建物移転補償契約金四五一万九、四〇〇円を支払い、被告会社に対し立退補償契約金二、九九九万〇、七〇〇円を支払い、また原告に対し立退補償契約金約一二〇万円を支払う。各立退期限は同年一〇月末日とする旨の話合いが成立した。

そこで、原告は、従来家業の維持、発展のため、その中心となり、また林楠雄と共同して努力してきたものであるから、本件土地の買収に伴う大阪市の前記補償金を林楠雄が殆ど一人占めすることは不公平であると考え、同人に対し、少くとも前記借地権譲受代金および建物移転補償契約金の半額を原告に支払うよう要求するとともに、大阪市の係員に対しても同様のことを訴えたが、右係員は「登記面が林楠雄名義になっているので仕方がない。同人と相談してくれ。」と返答し、また、林竹男らを仲介人に立てて林楠雄と何回も折衝したが、それは難航した。ところで原告は、林楠雄が自己の前記要求に応じない限り本件建物を立退かない旨主張し、当時大阪市の係員からは、林楠雄に対し、約定の立退期限も過ぎているから、原告を説得して早く立退かせるよう。もし原告との話が解決できないときは、前記補償契約を解除して収用手続にかける旨通知してきた。そこで林楠雄は収用手続にかけられるときは、補償額が不利になると考え、原告が本件建物より立退かない旨主張していることに困惑した。その間、原告の依頼した大阪北区酒屋組合理事長藤本義治が斡施した結果、ようやく昭和四三年一二月末日同人を立会人として、原告と林楠雄との間で、原告に対し前記借地権譲受代金および建物移転補償契約金のうち、一、〇〇〇万円を支払うこととしたが、被告会社の代表取締役でもある林楠雄は税金対策などを考慮して、原告に被告会社の従業員および取締役を辞めてもらって、以後嘱託として働いてもらうこととしたうえ、被告会社が原告に対し、従業員退職金および取締役退職慰労金として、被告会社が受取る前記二、九九九万〇、七〇〇円の立退補償契約金のうちから一、〇〇〇万円を支払う。右支払期日は被告会社が右補償契約金を受領したときとする旨約束した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三、被告は、本件約束は原告が被告会社の取締役としての地位を兼ねた立場で締結したものであるところ、取締役会の承認をうけていないから無効である。また、本件約束は取締役退職慰労金を含むものであるところ、株主総会の決議を経ていないから無効であると主張するので、この点につき検討することとする。

本件約束は被告会社の取締役退職慰労金を含むものであることは前記認定のとおりである。ところで、前掲記の証拠によると、被告会社は、昭和二七年六月二五日払込済資本金一〇〇万円、取締役林楠雄、林キヌ、原告、代表取締役林楠雄、監査役林竹男として設立登記がなされ、同二八年一〇月二二日、同二九年一二月二八日、同三〇年一二月二七日と同三二年一月一六日に各取締役、代表取締役、監査役の重任登記がなされている。しかしながら被告会社は前述したように林常吉が営んでいた大嘉林本店なる酒類販売業を、同人死亡後、原告と林楠雄とが承継して営んできた個人的営業を、林楠雄が税金対策上株式会社組織にした方が有利であると考え、株式会社組織にしたのであるが、真実株主の出資がなされたものではなく、株主名簿は存在しないし、株券の発行も一切なされていない。また創立総会はもち論、被告会社設立後本件約束成立時まで株主総会が開催されたことは一度もない。従って前記取締役、監査役の就、退任登記はいずれも株主総会においてそれらの選任がなされた旨の書類だけを整えてなされたものである。しかも取締役として登記されている林キヌは昭和四一年に死亡しているにもかかわらず、後任者の就任登記もなく、昭和三二年一月以降長期にわたって取締役、監査役の登記手続が放置されている。原告と林楠雄とは被告会社よりそれぞれ一定額の月給を支給されている旨の経理上の処理がなされているが、これも税務対策上のもので、実際は、同人らは随時売上金から適当に生活費等を支出している。このように、被告会社は商法所定の株式会社としての資本構成、機関運営、利益分配などがなされておらず、ただ税金対策上株式会社組織にされているが、株式会社というのは名前だけのものであり、その実態はそれ以前の個人的営業時代と何ら変わらないものであって、原告と林楠雄の二人が主として後者が中心となって営んでいた個人的営業であった。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

ところで、株式会社における所有と経営の分離を前提として商法第二六五条は取締役、会社間の取引につき取締役会の承認を要する旨規定し、また同法第二六九条は取締役が受けるべき報酬につき定款にその額を定めていないときは株主総会の決議をもってこれを定めるべき旨規定し、取締役が会社の犠牲において自己の利益を追求する弊害が生じないよう制限しているが、本来法規はあくまでそれが志向する社会的実態を基盤として、その上に生ずる諸々の利害の調整を規律するものであるから、具体的事案をめぐる法規適用の場面においては、当該法規が志向する社会的実態をはなれて運用、解釈することは許されるべきものではないと解するのが相当である。右の見地にたって本件をみるに、前記認定のように被告会社は一応株式会社として存在しているが、その実態は原告と林楠雄との個人的営業であって、この場合株式会社における所有と経営の分離という現象自体が存在しない。もし、この場合に前記商法第二六五条、第二六九条を形式的に適用すれば、被告会社の実態にはなはだ即しないものとなる。なお被告会社が、もし前記商法の規定により、本件約束による義務を免れることになれば、右会社の実態からして、原告がその営業から離脱した後、林楠雄一人が右規定に藉口して個人的利益を不当に保護される結果になるのみであって、正義、衡平の観念に反すること著しいものがあるといわねばならない。従って、本件約束は原告が被告会社の取締役としての地位を兼ねた立場で締結したものであるところ、取締役会の承認をうけていないから無効であるとか、取締役退職慰労金を含むものであるところ、株主総会の決議を経ていないから無効であると、被告は主張するが、被告会社の実態からみて、前記商法の規定の趣旨および正義、衡平の観念に照らし、被告の右主張は許されないものと解するのが相当である。

四、被告は、本件約束は取締役としての忠実義務に違反して被告会社に損害を及ぼす背任行為であるから、公序良俗に反し無効であると主張するが、前記認定のように原告が被告会社の取締役であるのは全く形式的なものであり、被告会社の実態は原告と林楠雄との個人営業に過ぎなかったものであるから、取締役としての忠実義務違反を問題にする余地はないし、前記認定の事情のもとに本件約束が成立したことをもって、格別不都合の点も見当らない。しかも後記認定のように本件約束は被告会社代表取締役林楠雄が自由なる意思に基づいて原告との間に締結したものであるから、その内容がたとえ被告会社、すなわち林楠雄にとって不利であっても、それをもって公序良俗に違反するものといえないことはもち論であり、他に本件約束が公序良俗に違反するものと認めるべき証拠はない。従って被告の右主張は採用することができない。

五、被告は、本件約束は原告の強迫によって締結されたものであるから、本訴においてこれを取消す旨主張する。しかしながら、前述したように、大阪市から林楠雄、被告会社および原告に対する各補償金の支払が約定され、本件建物からの立退期限も定められていた。そして大阪市から林楠雄に対し「右立退期限を徒過しているから早急に立退くようにされたい。もしそれができないときは収用手続にかける。」旨通告してきた。ところが、原告は林楠雄に対し、同人が右補償金の分配に応じないときは本件建物から立退かない旨主張したため、林楠雄は困惑し、やむなく被告会社代表取締役として原告との間に本件約束を締結するにいたったものであるが、右事実は未だもって林楠雄を強迫したものということができない。しかも本件約束は、前述したとおり大阪北区酒屋組合理事長が立会人として斡旋した結果、原告と被告会社代表取締役林楠雄との間において締結されたものであり、かかる経緯からみても林楠雄の自由意思を抑圧する程度の強迫があったとはとうてい認められない。従って被告の右主張は採用することができない。

六、なお、被告は、本件約束の一、〇〇〇万円の従業員退職金および取締役退職慰労金は余りに高額であって、妥当性を欠くものであるから、相当額に減額されるべきであると主張するが、かかる主張を肯定すべき法律上の根拠はないから、被告の右主張も採用することができない。

七、以上のとおりであって、被告会社は原告に対し本件従業員退職金および取締役退職慰労金一、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四四年四月一日から右支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高山健三)

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